布袋寅泰さんといえば、歌手の今井美樹さんが嫁さんだと知られています。
これまでに布袋さんは幾度も女性関係のスキャンダルを起こしてきましたが、2人が離婚することはなく、深い絆で結ばれていることが分かります。
そんな布袋寅泰さんと今井美樹の夫婦は、略奪愛の末の再婚であります。
布袋さんの初婚は1985年で、最初の結婚相手はシンガーソングライターの山下久美子さんです。
結婚当時、山下さんは「学園祭の女王」「総立ちの久美子」と呼ばれるなど、日本女子ロックの先かけ的な存在で人気がありましたが、布袋さんはまだまだ若手のペーペーでした。
山下久美子さんと布袋寅泰さんの馴れ初めと結婚、そして離婚までの逸話を振り返ってみたいと思います。
布袋寅泰さんと山下久美子さんの馴れ初めは、山下さんのアルバム『BLONDE』のサポートギターに、当時無名だった布袋さんが入ることになったのがきっかけです。
サポート参加のきっかけは、当時のプロデューサー吉田健さんが布袋さんを気に入ったのが発端なので、すべての始まりは吉田健さんです。
布袋さんは当時すでにBOOWYとして活動していましたが、まだまだ無名の存在でありました。
山下久美子さんは布袋さんとの出会いを自身の著書「ある愛の詩」で綴っていました。
彼は百八十七センチという長身を,折り曲げるようにして、そのときスタジオに入ってきた。髪を立て、原宿の古着屋で売っているかのような、黒とピンクのチェックのスーツを着 ていた。お洒落だなという印象だった。
「よろしくっ」 と私。「あ、お願いします」
緊張ぎみに彼は言った。
新作のコンセプトは, ロックンロールな感覚だった。私の原点にもどってまっさらな場所から歌おうとしていた。それにはとびきりのドライヴ感のあるギターを必要とし、それ を探してきたのが、プロデューサーだった。
「すっげえいいんだよっ、ぜひ聴いてみて」
そして、硝子の向こうで彼が最初の音を出した、その瞬間、私は恋に落ちたのだと思う。
すごいっ、なんて音なのっ!
彼のギターには、瞬時に人の心を鷲づかみするかのような、とてつもない情熱があった。 どこかに怒りを含んでいるかのような、哀しみを知るような、それまでに遭ったことのない音だった。
私だけではなく、居合わせたスタッフ全員が色めきたった。やがて、椅子に腰かけ、何やら弾きづらそうにしていた彼が突然、ガッと立ち上がって弾き始めたときには、スタジオ内 が騒然となってしまった。まるでライヴの会場のように。スタジオの中で立って弾くとい う技をやってのけたのは、たぶん後にも先にも彼ぐらいなものだろう。
ついに私は見つけたと思った。欲しかった音を。人を。私のロックン·ロールを。
それからリズム録りを終える約二週間ほどの毎日を、彼とスタジオで過ごした。仮歌を入れるためにブースで隣り合わせたとき、姿は見えないけれど、私たちはすでに互いに惹かれ合っていると、感じた。
彼の音と私の歌は触発し合いながら、溶け合っていった。 なんという心地よさ! 心と声が一致しているのがわかった。久しぶりの興奮と、快感。素の私をとりもどせた。
布袋さんのギターとしての素質に気づいただけでなく、自分とのフィーリングの良さに一目惚れしてしまたそうです。
『心と声が一致している』なんて、かっこいい初対面ですね。
布袋さんの最初の結婚は1985年で、当時は23歳でありました。4歳年上の山下さんは27歳ですね。
当時すでに売れっ子だった山下久美子さんと、まだまだ無名だった布袋寅泰さんの結婚は、格差結婚だと取り上げられました。
成功していた山下さんに対して、布袋さんはかなりの嫉妬心があったみたいです。
思えば、私たちはいちばんエナジーを持て余している時期に結婚生活を始めてしまったのかもしれない。
特に若い彼に至っては、嫉妬心においても尋常ではなかった「レッドシューズ」で呑んでいたときに、昔のボーイフレンドが入ってきたというだけで喧嘩になったり、たまたま居合わせた吉川が仲裁に入ると、今度は彼らが殴り合いを始めたりする始末だった。
元彼に布袋さんが怒り、それを止めた吉川さんと今度は殴り合いと、かなり荒々しい新婚生活だったみたいですね。
その後に今井美樹さんとの出会いもあり、ふたりの結婚生活は破綻してしまいます。
残念ながら離婚してしまった山下久美子さんと布袋寅泰さんですが、当時のふたりの結婚式には豪華なメンバーが集結し、ライブを行って祝福してくれたそうです。
アン・ルイス、吉川晃司、大沢誉志幸、桑田佳祐さんなど、今でも大物のすごい方々です。
このメンツにあって、布袋寅泰さんが無名ギタリストとしてガチガチなのが、ちょっと気の毒ですね。
布袋寅泰さんと山下久美子さんは1997年に離婚してしまいます。
離婚理由ですが、それは現在の布袋寅泰さんの嫁である今井美希さんの略奪愛だとされています。
実は山下久美子さんと今井美樹さんはもともとは友人でありました。
『彼女と知り合ったのが、いつ頃だったのかはよく覚えていない。初めは私のツアーバンドにいたドラムスのガールフレンドとして紹介された。やがて同じシンガーとして、いくつかの悩みを語り合ったり、時には相談にのったりするようになった。真摯で情熱的な女性だった。
この秋に始まったツアー用のパンフレッドに、友人、知人のひとりとして、コメントを寄せてくれ、そこには「久美子さんのファン、大好きです」と書いてあった。私は少し早く歌い始めた者として、必死でこれからを頑張ろうとしている人の、その率直な発言を、どこかこそばゆい感じで楽しく読んだ。
後に、この人が私の人生に大きく関わってくることなど、夢にも思わずに。
あの頃、彼女から相談を受けていた中には恋愛相談もあった。あるとき「心の中に広がった想いは止められないでしょ」と彼女は言ったのだ。「まあねぇ..」と答えながら、私の心境は複雑だった。
布袋さんと山下さん自宅に今井美希さんを招いたこともあったほどに、その昔は今井美希さんサイドから山下久美子さんとファンだと言って歩み寄っていたのです。
結婚後も楽曲提供などでファンを楽しませた山下久美子さんと布袋寅泰さんですが、その事が2人の間に微妙な距離を生んでしまったようなんです。
山下久美子さんのライブで演奏することが多かった布袋寅泰さんですが、次第に自分のライブに布袋寅泰さんを目当てでくるお客さんが目立ってきたのです。
まるで地軸がぎしぎしと軋みながらずれていく感じがあった。
それが何なのか、気づくまでに時間はかからなかった。私のコンサートのはずなのに、明らかにギタリスト布袋寅泰目当てで来るファンが増え始めたのだ。
サポートの位置にいるはずの彼が、いつのまにか私と同列かそれ以上になり始めてる。
それは私にとって予想外の驚異だった。不安にかられた。すると彼に対して素直に向き合えなくなり、どこか屈折に近い感情を持ち始めた。
たとえば、BOOWYがチャートのトップにランクインしたことですら、素直に喜べなかった。
布袋さんの実力やパフォーマンスの良さが認められるほどにモヤモヤしていった山下さん、その末にふたりの関係は微妙になっていたそうです。
そのタイミングに現れたのが今井美樹さんだったのです。
山下久美子さんと今井美希さんは親友と呼べるほどに仲良しになっていたそうです。
ある時期から山下さんが旦那・布袋寅泰さんに愛人がいるのではないかと疑うようになり、そのことを友人であった今井美希さんの相談したそうです。
その時点で何か違和感を感じていたそうで、後々嫌な予感が的中してしまったのです。
ある打ち上げで同席した三人。その際、布袋さんが怪我をしていたらしく、山下さんがその怪我を付き添って心配していると、今井さんが突然「途中下車しまーす」と言って帰ってしまったそうです。
「お疲れさまーっ」私は努めて明るい声で言うと、彼の横に座った。けれども、それはもともとふたりがいた空間に、違う人が入り込んでいったかのような雰囲気で、何とも妙だった。
なぜ、私はこんなことを感じているのだろう?突然彼が「さっきステージで指を折っちゃったかもしれないんだ」と、私の前に指を差し出した。
どことなく甘える仕草で。「どの指?」と私は手に触れた。そのときだった。
彼女が少し苛立った感じで「私 途中下車しまーすっ!」と言ったのは。え?途中下車って何っ!?言葉の意味を理解するのに、数秒かかった。事態は思ったより深刻だったことに気付いた。
ある日、あるメンバーが「今井さん好きな人いるみたい」と言うと、山下さんが「あ、この人みたいね」と言い、布袋さんが「そんなこと言うな」と山下さんに平手打ちを食らわせたそうです。
2月のある夜、布袋さんのツアーメンバーの1人が、彼女(今井美樹さん)が「何だか新しい恋をしているみたいだよ」と言った。それを聞いた久美子さんが「ああ、この人みたいよ」と言った途端に、頬に平手が飛んだ。
『そういうことを言うなよっ!』居合わせメンバーの間に緊張が走り気まずい沈黙が流れた。その夜、久美子さんが『彼女のことどう思ってるの?』とついに口にした。布袋さんは「好き、だよ」と答えた。
「それまでで一番傷ついた瞬間だった」と久美子さんは回想しています。「どう、する…つもり?」という問いには答えずに、布袋さんは「仕事に、行くよ」と言って出かけて行った。
平手を食らった夜に山下さんが布袋さんに今井美樹さんのことが好きなのか確認すると、布袋さんは「好きだよ」と答えたのです。
山下久美子さんは離婚する晩年、今井さんから嫌がらせを受けていたそうです。
それは夫婦の自宅に今井美樹さんから電話が来て、
「彼はいますか?」と、山下さんがいないと答えると、なぜか今井さんは「今シャワー浴びてるから」と言って電話を切るという、あたかも布袋さんがそちらに帰らずこっちにいるというアピールをしてきたそうです。
また、山下さんの自宅に離婚届が投函されていたこともあったそうです。
さらに布袋さんが今井美樹さんに提供した「PRIDE」という曲の歌詞の中に「あたなへの愛こそが私のプライド」というワードがあり、この言葉は山下さんに対する裏のメッセージだとされています。(曲がリリースされた時期はまだ不倫中)
結局、山下さんと布袋さんは離婚し、離婚後の2年後にふたりの略奪婚は成立したのです、
当時は大きく報道されバッシングもされていましたが、今井さんは「好きになったんだから仕方ない」と開き直っていたそうです。
布袋さんと山下さんの結婚生活は1985年から1997年と、12年で終わりました。
その後の山下久美子さんですが、2000年に41歳という年齢で双子の娘を出産しました。
シングルマザーとしての出産だったということで、相手の男性とは籍を入れなかったそうです。
その男性は布袋さんと離婚後に再会した知人の男性だったということですが、詳細は不明です。
15年ぶりに再会した昔の仲間で、再会した時「ずっと好きだった」と告白されたそうです。
懐妊後、電話で「ひとりで産んで育てていくので」と伝えたところ、「あなたがそう決めたなら、僕も運命のままに生きるよ」と言われたようです。
ふたりとも独身で、結婚ができない理由があるわけではない。けれど、そういうこととは違うところでこの縁があったように思えてならない。
と語っています。
再会した当初は、その男性の方から強くアプローチがあったのですが、妊娠がわかった後にプロポーズはしてもらえなかったそうです。
ひとりで産んで育てようという強さが山下久美子さんらしくて素敵ですね!
山下久美子さんは2000年に双子の娘をシングルマザーとして出産しました。
名前は長女が「あかね」で次女が「ひかる」です。
1人で出産し、二人の娘が20歳になるまでしっかりと育て上げました。
結婚に関しては布袋さんに痛い想いをさせられた山下さんですが、その後に布袋さんとの思い出を明るく語っています。
歌手の山下久美子が、デビュー40周年を記念したベスト盤「愛☆ 溢あふれて!~FullOfLovablePeople~」(テイチク)を出した。1990年代の曲を軸に収録。90年代は元夫のギタリスト、布袋寅泰が作った歌が多く、後半に離婚もあった波乱の時期。「ライブで最近よく歌い、いい曲がいっぱいあると改めて思った。歌は歌。思い出に浸っていたら歌えない」
歌に罪はないとして、当時の曲に良い曲が多いと、積極的に歌ってるそうです。
山下久美子さんの二人の娘の父親の関して、実は氷室京介さんではないか?という噂がありました。
しかし、氷室京介さんと奥様が結婚されたのは1983年でまだ売れていない時代。
その後氷室さんは1997年に家族とロサンゼルスへ移住しているとのことなので、時期的にも噛み合わないので明らかなガセネタでありました。
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